思いがけない休日に映画を観る
先日、急に仕事が休みになった。理由は、なんと職場に爆破予告が届いたからだ。
のんびりした職場でこんなことがあるとは驚いたが、思いがけず休みになったので、映画やカフェに行ってきた。幸い予告時間を過ぎても何もなく、職場は無事。
まあみんな「愉快犯だろう」と思っていたし、その通りの結果ではある。
私にしても、給料は契約通りにいただけるし、休日を満喫したし…で、迷惑を被ったわけではない。でも、なんだかなあ…という気もする。
もちろん、決して爆破してほしかったわけではなく、何のためにこんなことするんだって気持ち。
ネットで調べてみたら、最近このような爆破予告が増えているそうで驚いた。特に大学への爆破予告は、10月だけで20件近くあったとか。どれだけ愉快犯がいるんだろう。なんだかなあ。
さて、この休日に観た映画は「罪の声」。グリコ・森永事件をモチーフにした作品だ。
(作品中では架空のメーカー名になっている)
テンポがよく、役者もはまっていて、最後まで面白く観ることができた。
実際のグリコ・森永事件の時、私は子どもだったが、お菓子売り場からお菓子が消えたり、キツネ目の男の似顔絵がでかでかと新聞に載ったり、すごい騒ぎだったのをぼんやり覚えている。
就職後、とある菓子メーカーの方と話す機会があったのだが、その時にこの事件の話になった。当時は本当に大変だったそうで、店舗の巡回などに人が割かれたこと、巡回中に警官に「駐車違反」だと咎められ、「あなたたちが犯人を捕まえてくれないからこんなことになるんです!」と逆切れしそうになったことなどをうかがった。
映画の中でも「劇場型犯罪の走り」と言われていて、本当に大事件だったのだなと思う。
それにしても映画を観ていたら、事件のあった時代がとても昔のように感じられた。
何か曖昧模糊とした、ある種のいかがわしさ、薄暗さを感じさせるというか。
私自身も、その時代に生きていたのにも関わらず。
では、現在はどうなのだろう。映画では、声紋判定において当時分からなかったことが、現在の技術で分かったという場面があった。
そのように技術が進み、あいまいだった場所に光があたることもあるだろう。
でも、一方で、さほど変わっていない部分もあるような気がする。
例えば、爆破予告する愉快犯。現在でもそうした薄暗さはつきまとう。
その暗さを照らすもの。それを大事にしていきたい。