言葉を編む

「博士と狂人」そして「マルモイ ことばあつめ」両方、今年観た映画だ。

前者の舞台は19世紀のイギリス、後者は日本占領下の韓国と、時代も場所も異なるものの、いずれも辞書作り、それに取り組む人々に纏わる物語だ。

 

これらの映画には、共通して「文字が読めない人」が出てくる。彼らは、それぞれの理由から辞書作成者たちと関わることになり、その中で文字を教わっていく。

「博士と狂人」では、自ら手紙を書くようになり、それがどんどん上達していく。「マルモイ ことばあつめ」では、街中の看板、居酒屋のメニューを、楽しげに読み上げていく。

彼らはとても生き生きしていて、どこか誇らしげだ。文字を覚えることにより、エンパワーメントされていく。映画とは言え、そんな彼らを見ていると、こちらも嬉しくなってくる。

 

私自身、日本語であれ、外国語であれ、新しい言葉を覚え、文字が読めるようになるのは楽しい。例えば、知らない花の名前を知ると、その花が身近になる。読めなかった文字が読めるようになると、途端にその意味が立ち上がってくる。

言葉を知る、文字を知るということは、世界の解像度を上げることなのだと思う。

もちろん、音楽家は音でそれを感じ、画家は色彩やフォルムでそれを感じるのかもしれない。

でも、やはり言葉や文字の力は大きいのだと思う。

 

上記二つの映画には、もう一つ共通項がある。辞書を作るのにあたり、ボランティアを募ることだ。各地のボランティアから、言葉の使用例などを集めるのだ。各地から膨大なメモが送られてくる様は、壮観だった。

 

今の日本で、どういう方法で辞書を作るのかは知らない。でも、もし、そういうボランティアを募ることがあれば、是非ともやってみたい。

密かに、そんな野望を持っている。

 

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